けることが出来た直後の

ふぅ〜。
にもかかわらず、書き続けるには、それなりの理由がある。
理由は、明らかに承認欲求ではない。
想いをアウトプットすることによる爽快感、自己満足である。
心身、快適、快調。
根性なしなので面と向かって言えず、毒吐きの場合もある。

どこかで取り揃えたか、持ち帰ってきたか、いただいたお花を満足できるように器に生けることが出来た直後の嬉しい気持ち、に似ている。
他者基準ではなく、自分基準。
料理がとても満足できるように作れた感覚とはまた違う。
料理はその場で胃袋に入ってしまえばお終い。
刹那的なところがある。
あまり食に関心や追及心がないのかも知れない。
それに料理は自分でしなくても手に入る。
だが、少し手を加えると美味しくなる。
食は、生きていくために必要不可欠。


それにしてもまあ、こんなに長いのは何故か?
もやもや疑問は湧き上がるものの、自分で何が言いたいのかわからなくなっているため、書いて、答えを見つけようとしている。
なかなか自分を納得させる答えを掴めないと、延々と書き続ける。
(料理ならメンドクサイから、素材のまま手を加えず食べることもある)
自分が満足出来るような答えを導けたら、実に気分スッキリ。
導けなくても、書いている途中にランナーズハイ的に昇華されて余計なものが取れ落ちて気持ちが上向く。
それに付き合わされた皆さんは、それはそれはお気の毒である。
ごめんなさい。

しかし、ブログに自分は救われている。
救われないのは、読まされる側の皆さんでありますが、目に付く単語だけ拾って、ざざざーっとスクロールしてください。