人的には趣味ではない

オトコは、喧嘩が強く、お金を儲け、オンナにモテる、、、のが理想だそうだ。
いつもイケメンに対して劣等感を抱き、自分も顔が良ければ女性にモテただろうに、と嘆いておられる。
お孫さんもいて幸せな家庭なのに、あの年齢になってもまだ顔が決め手だと思ってウジウジ。
顔は決め手ではないし、高齢妻帯者なのに今から女性にモテて何がしたいのだか、よくわからない人だ銅鑼灣牙醫推薦

お金を儲けるのはわからないでもないが、ケンカが強い、というのは腕っぷし、暴力、武闘派ということ。
頭脳策略で勝利、というわけではなさそうだ。

わたしは、端から端まで、隅から隅まで、この男性と1μの共鳴、賛同、共通点もない。
が、悪い人ではないようだ。
世の中にはいろんな人がいる。
戦争を経験し、個人的な強烈な後ろ盾もなく、社会福祉も今ほど整ってない時代を生きて来た人は、ああなるのはよくわかる。
草食系の真逆。
ちょうど今の時代の真逆のタイプ。
それが時代というものだろう。

結果的にモテるのは、大いに結構。
カネ、オンナをモチベーションとして頑張るのも、大いに結構。
わたしの周りには、そういうタイプがいないからといって、惹かれるかというと、わたしは個人的には趣味ではない。
わたしはそんな動物みたいな人は敬遠する。
とは言え、もし、わたしの大ピンチ、窮地を身を投じて救ってくれた勇気あるスーパーマンなら、ぞっこん惚れてしまうこともあり得る永久脫毛
(ではあるものの、わたしのこれまでの人生には幸い、スーパーマンが必要な大ピンチには陥らなかった)

少子高齢化の今、子供を産まない若い人々は、動物みたいな精神や闘争心が欠如しているのかも知れない。
体罰も禁止。
弱音を吐いても、病名をつけて病気扱いしてくれ手厚く保護される。
パワハラモラハラ、セクハラ、男女差別、ジェンダー、、、意見を言うにも、細部に渡って考えながら口にしなければならない。
たんに感想をぽろっと言うだけで、袋叩き。
ぽろっと言ってはいけない
デリケートな問題となっている。

こんな世の中では、カネ、オンナ、暴力、、、昭和の臭い、仁義なき戦いは、遠くになりにけり。
昭和のある時期、任侠ものは映画で流行り、映画館から出て来た男性は、自分が任侠人になった気分。
その世代なんだろう。
わたしはその世代とは、ほぼ被らず重ならず接触せず接点がない。
青白い文学青年のほうが、まだ親近感がある激光脫毛副作用

面全開で誇張されていた

昨夜NHK TV放送のドラマ番組「生理のおじさんとその娘」
面白かった。
ジェンダー問題てんこ盛り。

中でも、おじさん(原田泰造)の娘のクラスメイト女子の家庭が、昭和色、全面全開で誇張されていた。
といっても、わたし世代では普通なんだけ倫敦 樓盤ど。
高校生の娘を持つ親の世代(40代?)にしては、今時あんな時代遅れもおらんやろー、という演出。
高校生女子の兄(大学生?)の行動も、父親の影響か昭和の男子。
わたしの孫世代に10歳プラスしただけの子供(高校生)。
わたしの子供世代に10歳プラスしただけの親(共稼ぎ両親)。
あの男女役割の様子はどう見ても、ズブズブ昭和。
時代考証がされ、昭和当時のドラマならいざ知らず、今、現代、令和の時代では違和感がある。
ぼーっとして見落としてしまったり、気づかない視聴者に、ちゃんと見てね、と誇張したい制作サイドの気持ちはわからないでもないが、
若いのにあんな夫婦は今時、おらんやろー。
昭和を通り越して明治??
(じつは、令和にも、ごろごろいるのが現実)

ちなみに、大きな口をたたく、理想論者のわたしではあるが、、、
実生活は、明治時代である搬屋報價
同ドラマのごとく、玄関でひざまずいて帰宅する夫を出迎え、「あなた、おかえりなさいませ」と夫の脱ぎかけの上着を受け取り、掛ける。
老舗割烹の女将か?
(わたしも、かなり誇張表現癖がある、、、心象風景描写)

夫は、わたしの躾が行き届かなかったせいで今では完全に子犬にも孫にも追い越されている。
食器など洗うことは生涯絶対にない。流しにまで下げることもない。
我が家での娘一家と合同夕食時、夫が自分の飲み物をビールからワインに切り替える時、娘婿が夫のグラスを洗いに席を立つ。
娘婿にしてもらうわけにはいかないので、わたしは娘婿と競うように席を立つことになる。
メニュー終盤あたりになると、
「ごはん(炊飯した白米)!」と夫。
どろん、どよっとした黒い気持ちになりながら、わたしは席を立つ。
娘婿に立たれる前に。

「水!」 
と、小学生男児孫。
水がどうした!?と鬼の形相の周辺。
自分で入れに行く孫。

かつて舅や夫は、「水!」と言っていた。
思い出すだけで、どろどろ地下重油気分。

わたしの地獄行きスイッチを押す。
菩薩は瞬間的に夜叉になっている服務式住宅 月租